奥の細ぶち
日々雑感
江川邸
幕末に伊豆韮山代官を務めていた江川英龍(ひでたつ)という人をご存知でしょうか?先日このブログに掲載した富岡製糸場と同様に世界遺産登録された韮山反射炉や東京湾の沿岸防備の砲台であるお台場の築造で中心となった人物です。先日機会があり伊豆の国市にあるこの人のお屋敷を見学してきました。
このお屋敷は室町時代に立てられた部分と江戸時代の初期に立てられた部分を含むたいへん古いものですが、長期に渡り火災などにみまわられることもなく無事に現存しており、当時の武家の日常生活が偲ばれるものになっています。テレビや映画などで放送された時代劇のロケなどでも度々利用されているということでした。
江川英龍という人は蛮社の獄で幕府に弾圧された高野長英や渡辺崋山と共に蘭学を修め外国の社会情勢や国際情勢に精通し国防の重要性を説きました。蛮社の獄では彼も罪に問われそうになりましたが老中水野忠邦と親交のあったことから忠邦にかばわれて難を逃れました。ペリー来航後、幕府側も国防の重要性に気づき英龍も反射炉やお台場の建設に着手し、彼の弟子たちも加わり倒幕から明治維新へと繋がることになります。
私が英龍の屋敷で感じたのは蛮社の獄やその後の安政の大獄での吉田松陰など先見の明がある人々を幕府はことごとく弾圧してきたという愚かさでした。その後の日本の歴史をみてもこの愚かさは江戸幕府に限ったことではないように思います。何らかの組織の中枢にいるひとは、知らず知らずのうちに組織を変革する新しい考え方や知識を恐れてしまいます。このような愚かしいことを決してしないように自戒の思いに駆られました。